武蔵野コンフィデンシャル

物書き岩戸の日常と身の回りを綴ります。

Monday, May 17, 2010

2010年夏期李保華老師馬貴派八卦掌東京講習会のお知らせ

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2010年5月吉日

馬貴派八卦掌第四代継承者 である李保華老師が運営される馬貴派八卦掌伝播中心の2010 年夏期東京講習会を開催いたします。

馬貴派八卦掌は、太 極拳と同じく中国武術を代 表する内家拳の一派であり、民間 で伝承されてきたことで伝統的な訓練体系を色濃く残した門派の一つです。その養生と武術を表裏一体とする中国の 伝統的な知恵は、ただ健康になりたいという方にも、本格的な武術を学びたいという方にも、大いに学 ぶところがあると思います。

今回は馬貴派八卦掌に興味を持たれてい るみなさまに広く参加していただけるよう、一般公開の講習会を中心に開催いたします。

講習会では、「走圏」という伝統的な鍛錬方法を中心に学んでいきます。歩くという生物にとっての基本動作を追究することで、日常生活で溜め込 んでしまっている身体の歪みを解放し、一人一人が本来持っている生命力を高めていきます。さらに中国国家認定の伝統四大気功 の一つである易筋経を馬貴八卦掌の理論からまとめな おしたものを学び、より身体を内側から鍛えていきます。

もちろん講習会では様々な武術の技も学びます。身体の隅々までを 動かして、より深く自分の身体と向き合っていくことを目指します。是非この機会に多くの方々に馬貴派八卦掌や易筋経を実際に体 験し、そのすばらしさを実感して頂けたらと思っています。


日本馬貴派八卦掌和易筋経研究会 会 長 楢 崎政章

東京バッキーズ 代表 岩戸佐智 夫


講習内容

★一般講習会

どなたでも参加できる講習会です。馬貴派八卦掌の各種走圏・掌法・套路を 学習します。

全10回の実施を予定、参加費各回5千円です。今回の課題は主に次の四つです。

1.龍形八大母掌に関する復習

2.単換掌と単換掌八法の学習

3.獅形走圏と各種獅形掌法の学習

4.状況により128式套路の学習

★易筋経教室

どなたでも参加できる講習会です。中国伝統四大気功 の一つである易筋経を学習します。参加費5千円です。

★体験教室

どなたでも参加できる講習会です。馬貴派八卦掌の基礎である走圏と 易筋経を学習します。全2回の実施を予定、参加費各回2千円です。

また今回も特別に会員制教室を実施します。

過去の講習会の様子は、馬貴派八卦掌伝播中心東京会員制 教室のウェ ブサイト

http://sites.google.com/site/maguistyle/

でご覧になることができます。


講習会等日程

6月

6月24日(木)

6月26日(土) ※体験教室

6月27日(日) ※歓迎会

7月

7月1日(木)

7月4日(日)

7月6日(火) ※易筋経講習会

7月8日(木)

7月11日(日) ※体験教室

7月13日(火)

7月15日(木)

7月20日(火)

7月24日(土)

7月25日(日)※会員制教室&歓送会

会場は主に文京区品 川区(体験教室は渋谷区)です。


申込方法

講習会参加に関するお問い合わせ&お申し込みは、以下のメー ルアドレスまでお願いいたします。

magui-japan@attglobal.net

原則として、定員30名とさせて頂きますので、お早めにお申し込み下さい。万が一定員を超えた場合は先着申し込み順で優先させていただきま す。また会場によっては、多少窮屈になる場所もあります。あらかじめご了承下さい。

なお、お申し込みの際にはお名前、ご住所、お電話番号、Eメー ルアドレス、参加希望講習日をご明記の上、お申し込み下さい。折り返し当日の会場・緊急連絡先をお知らせいたします。

また李老師の歓送迎会は参加費5千円です。色々とお話を伺えるまたとない機会です。1週間前までにお申し込みください。


謝辞

本講習会は李保華老師の馬貴派八卦掌伝播中心(http://www.maguibagua.com) を中心として、以下のみなさまの支援で運営されています。ご協力ありがとうございます。

同中心東京支部日本馬貴派八卦掌和易筋経研究会(http://www.maguibagua-tokyo.com/

同中心東京支部東京バッキーズ(http://magui-style.blogspot.com/

同中心西日本支部:馬貴派八卦掌和易筋経学術会(http://baguawest.ikaduchi.com/) 竹内研氏

山梨呉 式太 極拳研究会(http://gosiki.txt-nifty.com/blog/) 奥津昭氏

Saturday, July 05, 2008

個としてのスラム

小泉内閣の頃から、日本にスラムが生まれるのではないかと
懸念してきた。
友人の経済学者は、日本ではあり得ないよと答えた。
今はかなりその存在自体が曖昧になってしまっているけれど、
昔、日本が貧しかった頃、スラム街は現実にあったのは確かだ。

秋葉原の事件をきっかけに気づいたのだけれど、
多分、もうスラムは日本に生まれているのだな。
ただ限られたエリアがスラムといった存在ではなく、
個のスラムとして社会に混在してるのだな。

僕が見誤っていたことが一つあった。
たとえばアメリカのスラムは救いようのない絶望に満ちているけれど、
どこのスラムにも教会があるということだ。
教会の存在で人は決して救われないのだけれど、
少なくともコミュニティの核という存在にはなりうる。

現代日本的な個のスラムには、最低限のよりどころとなる
コミュニティすら得られない。

ネットがそのコミュニティになりうるんじゃないか? と
アルファブロガーの友人が言った。
果たしてそうなりうるのか。
ある程度はなり得るだろうけれど、孤独なある個人にとって
それはすがり得ない物ではないのか。
なり得ないから、人は追い詰められているんじゃないのか……。
人が本当に必要とするのは、
いつ消えるのかもわからない仮想空間における仮想のつながりではなく、
人の温もりではないのか?

Sunday, June 29, 2008

やまもも


四国から、山桃(やまもも)が送られてきました。

とりあえず、
小さく可愛らしい紫色の山桃を2個ばかり、
水道でザッと流して口に放り込みます。

甘酸っぱい、山桃独特の香りが
口の中にふわりと広がります。

懐かしい……。
夏を迎える前、
梅雨のほんの一時期だけ姿を現す山桃。
子供の頃は塩をパラリと振って、
口いっぱいにほおばったものです。
高知の子供たちは山桃を頬張って、本格的な夏を迎えます。


*戦前は沖縄でも山桃をよく食べていたらしく、
<桃売り娘は夏の風物詩だった>と、
古波蔵保好さんの『沖縄物語』だったか、
『ステーキの焼き加減』だったかに
ありましたっけ。

ちなみに山桃は中国名で楊梅と呼ばれます。

Wednesday, May 28, 2008

馬貴派八卦掌

あんまり書きたくなかったんですが、実は僕、34年前から中国武術を学んでいます。
最初は形意拳という武術から始まり、太極拳のオリジンである陳氏太極拳と学びました。

で、今学んでいるのが馬貴派八卦掌という武術です。
どんなもの? と訊かれると説明が難しいんですが、
清朝末期に皇族を守る護衛が使っていた武術です。
これがね、ホントに体に良いんです。
今年の夏も僕の老師の講習会が東京で開かれます。
もし良かったら……。

2008年夏期東京講習会情報

 馬貴派八卦掌第四代継承人李保華老師の「馬貴派八卦掌伝播中心」の第3回目の東京講習会を開催いたします。
 馬貴派八卦掌は非常に健康効果にすぐれ、武術としても価値の高い門派です。また前回より講習の始まった易筋経は、中国国家認定の伝統四大気功の一つであ る易筋経を馬貴八卦掌の理論からまとめなおし、既存のものと一線を画したものとなっています。是非この機会に多くの方々に馬貴派八卦掌や易筋経にふれて頂 き、そのすばらしさを体験して頂けたらと思っています。今回はさらに、女性向けに練習方法をアレンジした女子八卦掌の講習会や李シェフによる本場仕込みの生地から手作り中華料理教室も予定しております。みなさま振るってご参加ください。
また、多くの方に、李保華老師の「馬貴派八卦掌伝播中心」(http://www.maguibagua.com/)もしくは各日本支部に入会していただき、馬貴派八卦掌がもたらす素晴らしい効果の恩恵を享受し、ともに馬貴派八卦掌を広めていけたらと願っています。

(2008年5月吉日付け馬貴派八卦掌李老師招聘委員会作成資料より)

問い合わせ&申し込み先


 magui-japan@attglobal.net

 講習会&歓送迎会とも原則として、定員30名とさせて頂きますので、お早めに事前にお申し込み下さい。万が一定員を超えた場合は先着申し込み順で優先させていただきます。また会場によっては、多少窮屈になる場所もあります。あらかじめご了承下さい。
 なお、お申し込みの際にはお名前、ご住所、お電話番号、Eメールアドレス、参加希望講習日をご明記の上、お申し込み下さい。

注意事項

  • 受付は、各講習会場内にて、開始時間の10分前より行います。
  • 講習会参加費は、各回とも5千円となります。当日会場でお支払い頂きます。
  • 場所をお借りしているだけなので、各会場への直接のお問い合わせはご遠慮ください。
  • 会場を予約している名称とこの講習会の名称とは一致しておりませんので、当日は受付で尋ねず直接会場へお越し下さい。
  • 柔道場では上履きを使用できません。
  • ビデオ・デジカメ・カメラ等の一切の撮影は厳禁となっておりますのでご注意下さい。

歓送会と料理教室

 李老師歓送迎会及び料理教室の予定をしています(参加費歓送迎会各回5千円程度、料理教室実費+α)。
  • 歓迎会:7月6日(日)講習会初日終了後(夕方)から。※申込期限:6月29日
  • 料理教室:7月20日(日)13:00-17:00:場所未定  ※申込期限:7月13日
  • 歓送会:7月29日(火)講習会最終日終了後(夜)から。※申込期限:7月22日

講習会内容

 実施する講習会の種類は以下の通りです。
●八卦掌講習会
 ※どなたでも参加できます。
●易筋経講習会
 ※どなたでも参加できます。
●初心者向八卦掌講習会  
 ※どなたでも参加できます。
●女子八卦掌講習会
 ※女性限定の参加となります。男性はお申込できません。
●2年以上学習者向八卦掌講習会
 ※馬貴派八卦掌伝播中心会員限定の講習会となります。非会員、または会員でも学習期間が2年未満の方は参加できません。なお会員の方は、講習会参加一週 間前までに年会費を所定の口座(三菱東京UFJ銀行(0005)上野中央支店(065)普通預金1875495ナラザキマサアキ)にお振り込みください。 また各日本支部の会員は直接各支部代表に年会費をお支払いください。各日本支部の代表は、所属会員全員の分をまとめて、講習会参加一週間前までに上記口座 にお振り込み下さい。また、会員名簿を馬貴派八卦掌伝播中心東京支部の次のアドレス:info@maguibagua-tokyo.comまで、お送り下さい。

講習会日程予定

 下記日程は都合により変更することもありますので、あらかじめご了承下さい。
>>2008年 7月
6八卦掌講習会
15:45- 17:45荒川総合スポーツセンター小体育室(500平米)
※講習会後に歓迎会
7-
8易筋経講習会
19:00-21:00吉祥寺南町コミュニティセンター地下多目的ホール(200平米)
9-
10初心者向八卦掌講習会
19:00-21:00文京スポーツセンター剣道場(200平米)
11-
12-
13初心者向八卦掌講習会
15:45-17:45荒川総合スポーツセンター小体育室(500平米)
14-
152年以上学習者向八卦掌講習会
19:00-21:00文京スポーツセンター競技場1/3A(430平米)
16-
172年以上学習者向八卦掌講習会
19:00-21:00荒川総合スポーツセンター第1武道場[剣道場](200平米)
18-
192年以上学習者向八卦掌講習会
15:45-17:45荒川総合スポーツセンター荒川総合スポーツセンター小体育室(500平米)
20料理教室13:00-17:00吉祥寺南町コミュニティセンター2階調理室
21-
22八卦掌講習会
19:00-21:00文京総合体育館競技場A面(490平米)
23-
24易筋経講習会
19:00-21:00荒川総合スポーツセンター第1武道場[剣道場](200平米)
25-
26易筋経講習会
15:45-17:45荒川総合スポーツセンター荒川総合スポーツセンター小体育室(500平米)
27女子八卦掌講習会
15:45-17:45荒川総合スポーツセンター荒川総合スポーツセンター小体育室(500平米)
28-
29八卦掌講習会
19:00-21:00文京スポーツセンター競技場1/3A(430平米)
※講習会後に歓送会

Monday, October 29, 2007

中清@吉祥寺

マイペースで仕事をしながら、夏掛けの布団やタオルケットを洗い、
ベッドマットのローテーションをしたりのんびりとすごしているところに、
今日は友達の女性とその妹の二人が、
吉祥寺に買い物に来ていたのです。

で、ね、どうしても中清に連れて行きたかったのです。

「へえ、ホントに町外れだよねー」
と言う彼女。
でもね、良いんだよー。
もうちょっとだから、我慢して歩いてね。

店に入って、まずはホタルイカの沖漬け、
モミジコ(赤い色をしたたらこ)、しめ鯖、
豆腐サラダとビールなどをとりあえずオーダー。
あと卵焼きを注文。

その後、菊姫二合と焼酎のそば湯割りを飲みながら、
つまみます。
さらに焼酎をさらに一合追加。

話つつ飲んでいたら、ご主人の清田さんが、
「お酒飲めない子がいるの?」
と一升瓶を持って顔を出しました。
友達の妹がちょっとだけ弱いのです。
「これを飲んでごらん」
出してくれたのは、日本酒の梅酒!!
ああ……、なんて良い香り。
当然、一合オーダーです。
「押し売りでゴメンね(笑)」
さらに、
「これ飲んでみて」
と出してくれたのが、酒粕から作ったという日本酒のグラッパ。
零下30度に冷やしてあります。
なんて華やかな香り。
「いや、ホントはいろいろなお酒があるんだけどさ。
ウチはただの街のそば屋だし、おしつけるのも嫌なんだよね。
酒屋さんも一生懸命作っているのがわかってるから、
わかってくれる人にだけ勧めるんだけどね(笑)」

3回目にしてすでに常連のハンコを頂けたみたい(笑)。
そういう風に書くのって、生意気だし嫌なんだけどさ(ああ、自己嫌悪)。

〆は10割に近い粗挽きそば、二八の田舎蕎麦『さとそば』、
全粒粉うどん『さとうどん』をそれぞれに。
粗挽き蕎麦はもの凄い香りです。
でもね、それが美味しいのはわかっているんです。
僕が感動するのは580円の二八そばの香りのすばらしさです。
気取りもないけど、それ以上にウソがないんだなあ。

今日の支払い。
全部で7500円だもんね。一人2500円ですよ。信じられない。
そりゃね、料理とかもっと洒落てて美味しいところはあります。
お金を出せばね。ありますよ。
でもね、そばの美味さと、そして何よりも人品だと思うんです。
「うちはただの街のそば屋だから」
となんのてらいもなく言える素敵さ。

友達が、
「友達、連れて来たくなるのわかるわぁー」
と、とろけそうな顔していました。
そしてまったく同感なんだけど、
「辛いときや泣きたくなったとき、ここへ来ておそばを食べたい」
ホントにそうだと思います。

Saturday, October 13, 2007

友よ安らかなれ

また一人、大事な友がこの世を去った。
昔、東京朝鮮高校ボクシング部の部長だった李成樹である。

もう6年ほど会っていなかったが、
在日コリアンの取材の中で出会い、
心を通わせることが出来た人だった。
最後に会ったのは彼の育てた選手、
徳山昌守のソウルでのタイトルマッチの会場か、
その直後の東京かいずれかだった。

付き合いは15年ほどにもなる。
なんどか文章にさせてもらったが、
たいした男だった。

今は東京朝鮮高校から朝鮮大学に移り、
ボクシングの指導を行っていたと聞いていた。
まだ40代も半ばなのだが……。
10月6日に亡くなったという。
また一人、友がいなくなった。

李成樹さん、あなたは立派な男だった。
あなたが育てた選手達は正々堂々と立派に戦ったし、
今もまだ戦い続けている。
どうか安らかに眠って下さい……。

Saturday, April 01, 2006

飴湯と冷やし飴


子供の頃、夏になると毎日のように歩いて6~7分のところにある鏡川で泳いで過ごした。
川の水は冷たくて気持ちよかった。
海のように浮力が付いてしまうことがないから、自分の体のコントロールも自由自在に出来た。
今でも海で泳ぐのは苦手だ。
どんなに太陽の光が強くても、川の水は冷たくて夢中になって泳いだり、
魚を捕ったりして遊んでいると、いつの間にか体が冷えてしまう。

僕たちは水泳パンツのまんまバスタオルを肩から掛けて歩いて家へ帰る。
そんなことが当たり前の時代だったのだ。
家に入ると母が、「唇が紫色じゃねえ。飴湯を飲んで温めなさいや」と言って、
片栗粉を湯にといたものに砂糖を入れて、ドロリとして甘い飲み物を作ってくれる。

本当の飴湯はベッコウ色をしているのだが、家で作る飴湯は白い色をしていた。
味もかなり違っている。本当は本物の飴湯が飲みたかったのだが、
家では作れないものなんだろうなあと子供心に思ったので、
これは飴湯じゃないという文句を言わなかった。

それから夏の楽しみがもう一つ、お祭り時なんかに出る冷やし飴だ。
飴湯をキンキンに冷やして、生姜の絞り汁を入れて飲む飲み物だ。
ほの甘く生姜の良い匂いがする冷やし飴が、僕たちは大好きだった。
当時の僕は子供だったから、土佐独自のものだと思っていたが、
京阪神ではよくある飲み物だった。
京都なんかを夏の日に汗をかきながら、
散歩していると冷やし飴の幟がかかっているのを見かける。

大人になってからずいぶん経ってしまった僕だけど、
今でも冷やし飴の名前を見るとつい暖簾をくぐってしまうのだ。

写真は近所のスーパーで見つけた飴湯と冷やし飴の素である。
成分を見ると麦芽糖・土生姜と書いてあった。

子供の日の懐かしい思い出の飲み物だ。

Saturday, March 25, 2006

ドリームキャッチャー


 ドリームキャッチャーを初めて知ったのは2000年の春先のことだった。車でシカゴからLAまでの大陸横断を行っている時にふらりと立ち寄った、サンタフェの路上市場でネイティブアメリカンたちが色とりどりのドリームキャッチャーを売っていたのだ。
 日本ではそのずいぶん前にキムタク主演のドラマの小道具で使われて人気が出ていたらしいが、そもそもテレビドラマを見ない質の上に、シカゴで暮らしていたので全く知らなかったのである(ネイティブアメリカンが多いある街で「日本人は良いお客さんだよ!!」とか言われたりして……)。
 ドリームキャッチャーというから最初は夢を叶えるマジカルな道具かと思った。ほら誰だって、夢を叶えたいと思うじゃない? それがネイティブアメリカンの呪術的道具だったら効きそうだしさ。もっとも僕は夢が叶うということすらシニカルに見つめるペシミストなんだけどね。叶った後に何が待っているのかを知っているからさ。
 さてドリームキャッチャーなんだけど、本当は悪夢を捕まえるという一種のお守りなのだった。ドリームキャッチャーに引っ掛かった悪夢は朝の光で消えてしまうのだということである。
 金属をベースに作られたホイルーに糸が巻かれ、さらに糸がまるで蜘蛛の巣が張られたようなドリームキャッチャーは綺麗だし、ずいぶんロマンチックな道具だなとシニカルな僕ですら思う。
 お土産用にいくつか買い求め、さらにアリゾナのフラグスタッフでも幾つか購入した。
 ホテルのスーベニールショップでドリームキャッチーを両手に持ってカウンターに持って行ったら、レジのおばさんが、「今日はいらないよ」と言う。意味が分からず、「?」という顔をしたら、アジア人だと気づいてくれた。その時の僕はヨレヨレの服を着てネイティブアメリカンがよく被っている帽子を着用していたのである(笑)。
 日本に帰った時、友人達に配ったら、みんな結構喜んでくれてあっという間にソールドアウトとなった。
 写真のドリームキャッチャーはその後、LAにインタビューの仕事で訪れた時サンタモニカで買ったものだ。大陸横断の時に買った物は全部あげてしまったから、どこかに売ってないものかと探したら、ネイティブアメリカン関連の商品を扱っているお洒落なショップで見つかった。
 かなりデザインされていて伝統のものとは似てもにつかないけど、結構気に入っている。悪夢をキャッチしてくれているかどうかは知らない。悪夢には慣れっこだから。

Thursday, March 23, 2006


 スーパーで安く売られている卵なんて正直、生臭くて食べられない。
 今、我が家で使っている卵は東北の農場の有精卵である。
吉祥寺にある東北地方のアンテナショップで販売されているもので、一個、40円。
コストパフォーマンスが高いと思っている。
美味しい卵はいろいろあるけれど、一人暮らしだとどうしても取り寄せる個数が少量なので、
送料が高く着いてしまうので身近で買える物を選んでいるのだ。
 有精卵、無精卵の味の違いは正直言って僕にはわからない。
わかるのは卵の味を決定づけるのはエサだということ。
有精卵を選んで買っているのは、とりあえず良かろうと選んでいるということでしかない。

 以前、北海道の平飼いの採卵場を訪ねたことがあった。
鶏はとても健康そうで、こいつを食べたらさぞや美味しかろうというくらいのものだった。
東京に帰った後、ここから卵を送ってもらった。
確かに黄身の盛り上がりなんて大したもんだったが、味はいまいちだったのである。
実はこのことは送ってもらう前から大体の見当はついていた。
その農場ではエサの内容を公開しているのだけれど、
有機・無農薬の野菜を与えている以外わりと普通で特筆すべき物がなかった。
アレと思ったのは、タンパク質を補うために魚粉を与えていることだった。
魚粉を与えすぎると生臭くなるのだ。魚粉の影響は感じられなかったが、どうにも味が薄いのである。

 その逆で極端なのは四万十川上流で育てられた鶏が生む神果卵というもの。羅漢果を中心に漢方薬を組み合わせたエサで育てているという。その卵、なんと一個300円。ものは試しと一個買って食べてみたが、黄身に味があり過ぎる。羅漢果の甘酸っぱい味がもろに出ているのである。いじりすぎだと思った。

 5年ほど前、ある農法で育てられた卵(育てられたというのも変だが……)を毎日のように味見した。
確かに濃厚だった。まるでクリームのように濃厚だ。美味いことは美味い。
でも味がフラットなのだ。表現が難しいけれど、舌に当たる味が立体的じゃないんだなあ。
その農法の鶏舎も見たけれど、ケージ飼いの無精卵だった。
鶏はそもそも木の上で回りから身を隠して生活していたものだから、ケージでいい、むしろケージ飼いが正しいのだと農法の提唱者は言う。そうかな? と思う。
エサにはカテキンを多く含むお茶他を与えていた。
 この農法提唱者と行動をともにすることによって、卵の味はエサによるということを知ったというわけだ。でもその農法で生み出される卵が濃厚であることはわかるが、美味いかどうかは今のところ判断停止である。
 卵を選ぶのはとても難しい。

Tuesday, March 21, 2006

スノードーム



 僕の趣味の一つに、スノードームのコレクションがあった。
ある理由から止めちゃったけど、今でも大好きだ。
僕が集めていたのは都市物だったんだけど、
小さなガラスのドームの中の都市に雪が舞う風景はいくら眺めていても飽きることがなかった。
 雪が舞う都市風景なんてとてもロマンティックだ。
 箱庭の一種的なものかもしれないが、とにかく楽しいものである。
 スノードームは19世紀前半にペイパーウエイトとして誕生し、
パリ万博でエッフェル塔を封じ込めた物が記念品として売り出され、
それから旅の記念品として一世を風靡したのだということだ。
 僕が最初に買ったのはニューヨーク。
山田詠美さんとダグの結婚式に参加するため、初めてアメリカを訪れた時のことだった。
その次はパリだったかな。
マルセイユではその後アフリカを這いずり回ることになるんで泣く泣くあきらめたっけ。
 こういうものはお土産物屋に置いてあることが多いんで、
しばらくお土産物屋を回る変な旅人と化していた期間が続いた。
 友達も旅人が多いんで、あちこちの土地で買ってきてくれた。
最終的に30数個集まったっけなぁ。ダイニングキッチンに置いてあったテレビの上に飾っていた。
でもある日、泥酔した僕は何故かテレビごと床に落っことしてしまったのだ。
翌日起きて愕然とした。
何かをしようとして、テレビをいじっていたのは覚えているんだけど、
いったい何をしようとしてたんだろう? 
とにかくこの事件で僕のコレクションの半分は木っ端みじんになってしまったのだ。
 補修できる物は補修して飾っていたけれど、
引っ越しを期にトランクルームの奥に仕舞い込んでしまった。
 もう一つの理由はシカゴのマーシャルフィールドという百貨店が、
クリスマスの時期限定で『不思議の国のアリス』のスノードームを売り出したことがあった。
もの凄く欲しかっったんだけど、『不思議の国のアリス』のスノードームを大事に飾っている中年男なんてなんだか危ないじゃない? 
意味性があり過ぎるよなあ……なんて思っている内に、
そもそもコレクションなんて柄じゃないなと思い始めたのももう一つの理由。
僕はこれまでの人生でコレクションというものをやったことがなかったのだ。
コレクションなんて人生のお荷物を増やすだけでしかないと思ってきた。
これまでのように荷物を増やすのはやっぱりやめよう、そう思ったのだ。
 一つだけ残してあるのが、写真のシカゴのもの。
深夜、ウイスキーを飲みながら眺めているといろんなことを考えたりして、いいものです。

Sunday, March 19, 2006

サモワール



子供の時から憧れてきたものにサモワールがある。
サモワールはロシアのお茶を入れる道具だけど、
知らない人が結構いて吃驚したりする。
まあ僕が子供の頃って日教組全盛の時代で、
教科書にもロシアものが多かったから しょうがないことなんだろうなあ。
ペチカに憧れたりしたしたもんだもの。
♪ 雪の降る夜は 楽しいペチカ~ ♪ 
小学校の給食にだってボルシチがあったしなあ……。

ロシア民話の『石の花』だってそのころ知ったわけだし、
『12ヶ月物語』なんてほんとに陶然とするほど神秘に満ちて感じられたもんだ。

*12ヶ月物語は森の中で12ヶ月の精と出会う話だ。ある日主人公は森でたき火をしている一団と出会う。そこには一月の精がいたり、2月の精がいたりする。同じような民話は日本にもあるんだけどね。

受験で東京に出てきた時、目黒に宿を取ってたんだけど、
駅の近くにロシア料理の『ロゴスキー』を見つけてよく飯を喰ったもんだった。
そこで生まれて初めてちゃんとしたボルシチを食べ、ロシアンティーを飲んだ。
わりと僕の口には合っていて、美味いものだと思った。

僕は別にロシア自体は好きってわけじゃない。
行ったこともないし行きたいとも思わないんだけど、
何故か魅かれるところがあるし、実際に縁もある。
昔の嫁さんがロシア史の研究者だったりするんだもんなあ。
そんなもんだから正しいボルシチの作り方とかも仕込まれた。
大きく切ったジャガイモ、ニンジンが入っていて、
トマトで味を付けてるのはロシアのボルシチじゃなくてウクライナのやり方だとかね。
ロシアのボルシチはキャベツ、ジャガイモ、ニンジン、ビーツ、肉と全部千切り。
前日に肉の塊とビーツを茹でてスープを作っておく(こうすると頑固なビーツも柔らかくなる)。

できあがったボルシチをつぐ時、お皿にまずビネガーを入れる。
これが酸味のもとで、他のはトマトで酸味をつけているってこと。
ボルシチを注いだら、最後にサワークリームを入れて食べる。
面倒臭そうだけど、わりと簡単。
それに結構美味い……。

あっと、サモワールの話をするつもりだったんだ。
サモワールは水を入れるタンクの真ん中に筒が仕込まれていて、そこに火を付けた炭を入れる。
するとタンクの中の水はお湯になるし、上に載っけたティーポットではお茶が入るという算段だ。
ティーポットの中の紅茶は濃く入るので、タンクのお湯で適宜薄めて飲むんである。
サモワール自体が手あぶりにもなるし、いつでも暖かいお茶が飲めるという
寒いロシアにぴったりの道具なんであるのだな。
よく紅茶の中にジャムを入れてロシアンティーと言っているけど、それもウクライナのやり方で、
ロシアではジャムを舐めながら紅茶を飲むんだと彼女は言っていた。

あと、お砂糖も紅茶に入れないで、直接囓りながら飲むというやり方もあるんだ。
あんまり綺麗じゃないんだけどこうすると砂糖の消費量はぐっと減るし、
砂糖を直接入れないから途中でブラックティーに切り替えるのも自在である。

さて、僕のサモワールはイスタンブールで買った真鍮製のもの。
トルコはロシアと様々な交流があったのでサモワールなんてのも日常道具として使われているのだ。
エジプシャンバザール裏の道具屋街で見つけたのだけれど、
一目で気に入って、日本までだき抱えて帰ってきた(笑)。
通訳のトルコ人は呆れてたけど……。

僕はちょっと変わった物好きなんである。

Friday, March 17, 2006

ゲイルスバーグ



……そして焼き付く夏の日々を、また秋を、街路につらなる並木の黒い枝々に雪の降り積もる冬の日を、私は愛する……(ジャック・フィニィ『ゲイルスバーグの春を愛す』福島正実訳より)

「ゲイルスバーグってさ」
とその人は言った。僕は聞き返した。
「ゲイルスバーグって、『ゲイルスバーグの春を愛す』のゲイルスバーグ?」
その通りだった。その人はあのゲイルスバーグからやってきたのだった。

ゲイルスバーグ……。シカゴからアムトラックに乗って4時間ほど西に行ったところにある。ミシシッピー川に近い、イリノイ州の西のはずれの小さな街。
『ゲイルスバーグの春を愛す』はその街にあるノックスカレッジの学生だったジャック・フィニィによって描かれたファンタジーだ。ジャック・フィニィはペーパーバックノベル作家でアメリカではあまり評価されていないが、日本ではとても人気がある。かく言う僕も彼の作品を愛する一人だ。『ゲイルスバーグの春を愛す』は僕が18の時に日本で出版されているが、手に取ったのは20歳の時だった。その後、僕がゲイルスバーグを幾度も訪れることになるとは、その時には想像もしていなかった。

「そうかね、ジャックはそんなに日本で人気があるのかね」
終戦後からゲイルスバーグに住んでいる、ノックスカレッジの日系の老教授は愉快そうに笑った。
「そういえば、昔、日本人女性がこの町を訪ねてきたことがあったよ」
どこへ行って良いのか途方に暮れる彼女を見て街の人が、日本語を話すことが出来る教授に電話してきたのだという。ゲイルスバーグは時々、ファンタジー漫画の舞台として描かれている。この街を訪れたという日本人女性は多分そんな作品の一つを読んで、やってきたのだろう。
でもこの街にあるまともなホテルは一軒だけだ。それもチェーンのモーテルで、かなりくたびれている。

ゲイルスバーグを初めて訪れることになった時、僕だってドキドキしたものだ。だってあのゲイルスバーグに行くんだもの!!
春3月。シカゴのセントラルステーションを出発したアムトラックは、ときめく僕を乗せて夕焼けの大地を走っていったのである。
でもね着いてみたら、そこにあったのはなんだか西部劇に出てきそうな通りだけバカっ広い、ほらよくアメリカ映画に出てくるような空疎な街並みだったんだ。メインのストリートはほとんどシャッター通りだ。郊外に出来たショッピングコンプレックスにお客を取られてしまったということだった。駅の近くにある街一番のカフェ、『ランドマーク』で自慢のスピナッチビスク(まあ、ほうれん草のポタージュだね)を食べた。でもこれが、ちょっと時間が経つとバターがもの凄い勢いで湧いてくる、恐ろしい物だったんだよね。

次に訪れたのは9月のこと。シカゴから車で行った。かかった時間はアムトラックと同じくらい。でもこの時は素敵だった。金色に輝く大豆畑!! まるでオズの魔法使いのドロシーやかかしや、ブリキの木こりや、臆病なライオンが姿を現しそうだった。そして空にはなんと複葉機までもが飛んでいた。この季節には複葉機のフェスティバルが開かれるのだと言うことだった。

この時の僕の気分はまるで、レイ・ブラッドベリの『タンポポのお酒』の主人公・ダグラス少年みたいだったんだ……(ブラッドベリはシカゴの北にあるワキガンという街の出身である)。

僕が20の時に買った『ゲイルスバーグの春を愛す』の単行本は、ゲイルスバーグからやってきた人のもとにある。

Wednesday, March 15, 2006

石の花



その石のことを初めて知ったのは、24~25年前のことだった。
今でも西新宿にある『ローズ・ド・サハラ』というアフリカン・レストランでのことである。
店のロビーに不思議なかたちをした石が置かれていた。
沢山の小さな石板は花弁のようで、それが互いに支え合うように集まり、
確かに薔薇の花のようにも見える不思議な石だった。
店名として採られた『ローズ・ド・サハラ』=サハラの薔薇石だったのである。
別名が『デザート・ローズ(荒れ野の薔薇)』ということもその時知ったように思う。
僕が薔薇石に魅かれたのは子供の頃に読んだ
ロシア民話の『石の花』という言葉が心の奥に残っていたからかもしれない。
確かロシアの『石の花』はウラル地方の民話で、王から石の花を彫れと命じられた彫刻家が
山中に咲くという本当の石の花を探しに行くというものだったと記憶している。
なんとロマンチックな話だろうと当時の僕は思ったはずだった。
えらく感じやすい子供だったのだ。

その石の花が咲くところがあった……。
ウラルではない世界のどこか……、そう石の花はサハラ砂漠に咲いていたのだ。
僕の心はときめいた。

2000年、パリ・ダカールラリーの取材でサハラを訪れた時、
砂漠や砂の街をはいずり回りながら、薔薇石を探したがついに見つけることはできなかった。
本当にサハラにその石はあるのか? と疑ったほどだった。
だってサハラのど真ん中や一番奥で必死に探したんだぜ!!

それから10数年後。チュニジアを訪れた時のことである。
チュニスのメディナの中をうろついていた僕は、ついにそこで薔薇石を発見した。
土産物屋の店頭に山のように積まれていたのである。
しかもほとんど捨て値同然だ。
あるところにはあるのだな……、と唖然とした。
現地の人に聞いた所によると、干上がったオアシスにできる結晶石であるという。
おそらくはオアシスの水に含まれるカルシウムなどが、干上がる時に結晶した物なのだろう。

捨て値同然と書いたが、実のところ捨て値と感じたのは僕たちの貨幣価値であって、
薔薇石は現地でとても大事にされているものなのである。
ただ大きく形の良い物は少なく、それ以外のものは高値が付かないのだ。

僕の部屋には今でも小さな石の花が置かれている。
砂漠の薔薇石はやはり神秘的だ。

Tuesday, March 14, 2006

パーカー51



最近、万年筆マニアだと紹介されることがあった。
マニアかどうかは知らないけど、万年筆は好きでかなりの数をもっている。
まあ物書きという商売だから、筆記具はお守りみたいなものでもあるのだ。

で、ちょっと大事にしている万年筆のことを書きたい。
8~9年ほど前にニューヨークで買った古いパーカー51のことである。
1万円前後だったと思うけど、はっきりとは覚えていない。
パーカー51が発売されたのは1941年、太平洋戦争が勃発した年である。
その後、改良を施し続けながら、ずいぶん長い間販売し続けられた。
だから世界でもっとも成功した万年筆とも言われている。
僕が十代の頃はこの万年筆が入学祝いに贈られたもんだった。
写真で見ると判るけど、 ペン先はボディに隠されていて、ちょこっとだけ出ているだけだ。
それが当時の僕にはすごく不満だったんである。

僕はクラッシックなペン先が露出したヤツが欲しかったんだなあ。
なんだか、51はモダン過ぎて嫌だった。
それに世界的に51のまねをしたモデルで溢れていて、
このスタイルはつまらないありふれた物でしかなかったんだ。
だから貰ったヤツもほとんど使わないでしまったまんま、どこへいったかもわからない。
でもペン先がきっちり露出した物なんて、ものすごく高くて手が出なかった。
だいたい高校生は万年筆なんて使わないんだもんなあ。
東京に出てきて、アルバイトで貯めた金を握りしめて、
速攻御徒町へ行き、軸が茶マーブルのペリカンの万年筆を買った……。
ずいぶん使ったけど、結局、どこかで落としちゃったんだ。

それ以降、使ってきたのはペン先が露出したヤツばかり。
モンブラン、シェーファー、オマス、ビスコンティー……。

でもね。年を取ると、そんな51が懐かしくなっちゃうんだなあ。
欲しくて欲しくて、ニューヨークで探したってワケである。
ビレッジのビンテージ万年筆ショップですぐに見つかった。
ものすごい数が流通したものだから、値段もとてもリーズナブルだった。

日本に帰ってすぐに老舗の万年筆店でメンテナンスをしてもらった。
「これはあまり使ってませんね。この頃のものは材質に妥協がないんで、一生使えますよ」
とご主人が言ってくれたのもとても嬉しかった。
僕の51をカタログでチェックしてみたところ、
50年代のもので僕が生まれる数年前のものらしい。
日本が一生懸命で、とても幸せだった頃の万年筆だ。

今は記念モデルとして数年前に再生産されたヤツとこれの2本の51を所持している。
日常的に使ってるのはペリカンの2千円もしない、学童用の万年筆なんだけどさ(笑)。
でも万年筆は良い物です。
旅先で絵はがきにペンを走らせていると、ホントに旅人の気分になるんだから……。

始まり

東京コンフィデンシャルの個人版として書いていこうと思います。
こちらはホントにプライベートなブログです。